当サイトは東日本大震災を被災したマンション管理組合関係者(マンション居住者、管理組合理事長・役員、管理会社担当者、管理員、工事担当者、設計事務所、マンション管理士等)の体験談を紹介しています。
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2011/11/20

B-03 宮城県仙台市Gマンション・管理員の体験談

取材地:宮城県仙台市
取材日:2011年7月25日

――この度の被災についてお見舞い申し上げます。地震の瞬間は、どちらにいましたか?
私の勤務は15時までなもんですから、管理室に居たんですよ。当日の巡回を終えて、蛍光灯の切れてる所とかそういう点検が終わって、管理室に戻って日誌書き終わるかなという頃でした。

地震があったのが、そう14時46分。今までの揺れと違ったから、ちょっとおかしいなと思って、すぐに表に出て、そのまま駐車場に居ました。

建物は、見ていて分かるくらいに揺れていました。それで、向こうのマンションの塔屋が、ボンッと落ちたの、あれを見ました。揺れてる途中に徐々に折れてきたのでは無く、爆発的に折れましたね、ボカーンていう感じ。それでコンクリートの壁がぶら下がっていました。

近くのお店の窓がね、壊れなかったんですけども、もう弓なりにしなってました。向こうの住宅は屋根瓦がね、30cmぐらい動きました、それでザザザーっとなだれのように落ちていきました。地震は結構長かったですからね。4分かな?私の感じでは5分以上あったような気がしたけど。

この辺っていうのは地盤が軟らかいらしいですね。ここの土地は、あの地盤調査図を見たら、この地域の半分くらいは15メートルぐらい下が岩盤なんですよ。後の半分は堆積層らしい。この建物はね、意外とダメージ少なかったですね。近所は揺れましたけど。

――地震の時、マンション内に居住者はいましたか?
いらしゃいました。それで収まってから一軒一軒全部ノックしましてね。今から上に行くからって言ったら、居住者の方が一緒に回ってくれましてね。恐怖で動けない人もいましたし、ひどくは無いですが、手をちょっと怪我して、血が出てるって方もいました、ちょっと切ったくらい。来てくれた居住者が、動けない、怪我をした人たちの事をみんなで降ろしてくれました。

ここは7階建てですが、上の階のお年寄りも、揺れが収まってから降りてきました。ただマンションの造りって言うかね、入り口のところに下駄箱があるんですよね。観音開きの下駄箱、それが開いて靴が全て落ちたから、避難できないような状況なんですよね。私は逃げてきた人のところ、逃げ遅れた方もいないかなと思って皆開けて、鍵がかかってないところは皆開けて入って行って。後から断りましたけど、土足で入りましたって。

普段は専用部分は入ってはいけないと言われていますが、とにかく、怪我している人がいないかとかね、逃げ遅れている人はいないかっていうのを全部確認しました。全住戸、皆、顔見知りだから。出てこない所だけノックして。勤めて出ている人の所は行かなかったけど。

開放廊下はね、消火栓の扉が開いて、ホースが全部散らばって、上の方は消火器が全部出まして、あと、廊下の天井の点検口って言うんですか、これが全部落ちました。これは4月7日の地震でも同じですね。

子供さんが一人でいたお宅もあるんですよ。その子には、とにかくここにいる人と離れないように、行動を一緒にするように、という事でね。その子は、普段はあんまりお話しするような子じゃなっかたんですけどね、やっぱり相当怖かったんでしょうね、ぴったりくっついて離れなかったです。

まず皆さんが避難したのは駐車場の真ん中。ここだったら電柱もないし、電線も無いし、倒れてくるものは何も無いからって事で。次のここの地域の避難所は、近所の小学校になってたんですよ。それで、その小学校の入り口も地震で崩れたみたいで、すぐには入れなかったそうですよ。

――通常ですと勤務は15時まで?
15時までですけど、帰るわけにいかいないですよ。それと、私らの会社でやっている近所のマンションもちょっと心配だったんで、ここがひと段落してからそっちを見に行ったりしてました。

向こうに行ったのは17時頃ですね。行って建物の状況と管理人の安否を確認して。会社でも確認しようが無いから。ちなみに、会社のマニュアルにも、一番最初に管理人の安否を確認するって書いてあるんです、でもこの規模の災害になると、安否の確認のしようが無いんですよね。

ちなみに、私、昔の宮城県沖地震の経験あるから、まだ水が出たので1階に水を汲んでね、バケツ置いてご自由にお使いください、とね。トイレが大変でしょ皆さん。私が帰る時までに準備したんだけどね、19時30分頃かな。懐中電灯もそこに置いて。あとは、カレンダーの裏を使って、誰がどこに居るとかどこに避難してるかとかを書いて貼り出しておいて。緊急用の掲示板ですね。

――建物の被害は?
さっきも言った通り、入り口の下駄箱が全部観音開きに開いて、もう山積みになっているから、扉が開けられる状況じゃなかったです。それと、7階の住戸の書斎の書棚から何から皆倒れて、内側に戸が開かないんですよ。人はいなかったんです、ちょうどね。それで、書棚が倒れて壁突き破って書棚が出てるんですよ。意外とマンションってコンクリだけかと思ったけど違うんだね。

後ね、トイレが曲がったり。90度曲がってる。お風呂場、扉ですね。もう、お風呂だけで6件目ぐらいかな、工事してるの。4月7日の方がひどかったって言う人もいました。一回目でダメージ受けてるからね。二回目もすごかったですよね。

管理室は一番最後に片付けました。棚の上に電球とか物をあげていたので、全部下に置くように片付けて。こういうのって経験したことないけどね。私は前の会社で防火管理とか、避難訓練をやってたでしょう。そういうのって役に立ちますよね。

想定外の事が起こるからね。でも、そういうので、いろいろなやり方とか、どういう風にしたらいいか、ある程度体験してたから、あんまり慌てもしなかった。ここのマンションは他のマンションに比べたらそんなに被害が無いしね。ただ瓦礫の処理が大変でした。瓦礫を運ぶにもエレベーターは動かないしね。でも、エレべ-ターがないからといって通路に瓦礫があったらなんとなく落ち着かないですもんね。だから土曜、日曜日に水を出して、瓦礫を片付けて。

――ご自宅の被害は?
自宅は、ここからだと車で15分くらいですけども、バスもなかったし、その日はそのまま歩きでした。地震の後は自転車で。被害はちょっとはあったけどね、ここほどじゃないし、他に比べりゃね、という程度です。

最初は、うちのほうも心配したんだけどね、電話はつながらないし。うちの奥さんは、趣味の教室で体育館の中にいる時間だったんですよ。だからあっちは大丈夫だと思った。ぜんぜん連絡は取れないけど、遅くなっても大丈夫だと。

――管理会社と連絡できたのは?
まずマンションの電話が通じないですから。それで、ちょうどここの理事長の携帯電話が繋がっていまして、それで電話させてもらって、月曜日のお昼頃。

――ライフラインはいつ頃戻りましたか?
電気はね、日曜日の夕方か夜だと思います。エレベーターは14日午後から動いたのかな。でも、エレベーターが動いた最初は、エレベーターに乗りたくないという人もいた。水がきたのが15日頃でしたかね。ただ、残っている水があったので、あの下に非常用の水洗がありまして、そこだとチョロチョロと水が出てたんで、そこに貼り紙してこっち使ってくださいって。飲料水でも大丈夫ですからって。私は土曜日も日曜日も朝に来ましてね、タンクから下に潜って水を出して。居住者の皆さんも協力してくれて、皆さん声を掛け合って水出しをやってくれてました。

受水槽ここにあるんですよ。それで、マンホールのふたを開けて、バケツを入れて使えるようにしました。それと、トイレの水の確保がなかなかできなかったんで、消火栓のタンクからとりました。どうせ消火栓は停電で動かなかったものですから。トイレに関しては、避難しても人ごみで眠ることもできないし、何することもできないので、駐車場の車で何日間も泊まった人もいるんですよ。そこで、管理室の鍵をかけていくべきかって悩んだけどね、とにかくトイレを使ってください、ということにして鍵を開けておきました。でも、あんなに水洗トイレが水を使うもんだとは思わなかった。一気に流すんだね。

ガスはね1ヵ月半くらいかかったんじゃないですかね、4月の半ば、ちょっと調べればわかるけど。ライフラインが復旧するまでに、私は特に苦労してないですね。皆さん協力的でね。それとここのマンションよりも、向かい側のマンションのほうがひどいでしょ。そっちの方見るとね、あまり無理も言えなかったし。

居住者の方にね、私が面倒見てもらっていました。居住者にものすごく助けられましたね。ガソリンも無かったでしょう。居住者の方がガソリン買ってきてくれました。携行缶持ってきてね。ありがたいね。食料も支援してもらったしね。管理人さんここで仕事してたら並ぶこともできないでしょって。私も、友達からガスボンベちょっと送ってもらったから、必要な人にみんなやったけどね。カセットコンロね。たいした量ではなかったけどね。

――建物を補修する計画の進み具合は?
計画は進んでますけども、遅れてますね。一応、どの程度の被害があったのかを見積りを出してもらうということになってるんですけども、まだ見積りが出てきていない状態。理事会では、12~13年位に一度の大規模修繕と一緒にやった方が安上がりになるんじゃないかという話も出てましてね。

地震後の一回目の理事会が4月、その後は毎月1回、5月に総会を開いていますね。ただ、居住者の方達は状況がなかなかわからないからね。管理組合と業者との話とか、管理会社の話とか、なかなか分からない様ですよ。管理会社に居住者の人は全部お任せしていると思っているんですよ。だけど、管理会社は管理組合からやってくださいと言われない限り、なかなか動けないですよね。

それで総会の時には何でうまくやれないのかという話がでましたね。ただ管理会社とすればまだ依頼も受けていないのに動けない。それから、管理組合がしっかりしていると結構そういう事は早めにやるんでしょうけどね。

今まで平和に過ごしていたマンションで、壁にひびが入るような地震が起きるなんて皆さん想像してなかったでしょうし、そういう混乱した時に、自分たちが当事者で業者さんや管理会社に指示しなきゃいけないと皆さんが思えるかは、ハードルが高いですね。

私が一番最初に居住者の人に言ったのは、このぐらいの被害だと対応は後回しになりますよ。緊急性が高い所が最優先になるから、もう少し我慢してって言ってね。もうイライラしてくるとね、ガスはいつ通るんですか?仙台市の水道が止まっているのも管理人の責任じゃないかってなるからね。私はライフラインの連絡先をピッと張っておいてね。あとは支援制度とかって言うのもみんな貼り出しましてね。

いつ復旧するのかっていうお問い合わせは多かったですね。でも、市政だよりを見てくださいとか、連絡先に問い合わせてとか言える程度ですね。

――地震保険は?
入ってました。 一部損ですね。罹災証明は一部損壊じゃないんですよ、全壊。仙台市でやった罹災証明と、保険会社でやってる鑑定の仕方が全然違うんだと思う。管理組合と居住者としてはよかったですね。お金は全壊だったら結構出ますからね。

――地震の前からの備えは?
一応ヘルメットとか、バールとか、そういうのは常備してあります。瓦礫とゆうか雑壁の壊れたので取れるやつはバールで取りました。危ないから落ちそうなやつは取って。後は、懐中電灯が非常に役に立ったと思いますよ。私は玄関のそこの所に置いていて、こ自由にお使いください、と置いておきました。

飲み水はもっと準備してたら、と思いますね。給水にみなさん3時間ぐらい並んでたって言うんですよ。

――他のマンション関係者にお伝えしたいことは?
私はね、あの地震というのは治まるもんだと思ってますから、まず逃げることね。自分がだめになったら誰も助けることできないですよ。まず、安全な所に避難する。後、避難させるだね。

地震ってね、大きな地震と普通の地震とは違いますよ。この間の地震の時はね、やばいって思った。それで、うちの会社の方針でも、ラジオやテレビを普段の勤務中はつけて駄目としている。だけど、やっぱり何かの時にはラジオぐらいは必要だと思いますよ。

やっぱり、普段からね管理室とかでは、高いところに物を置いちゃ駄目ですね。私が戻って来たらもうここは物でいっぱいでした。入れないぐらい。私は宮城県沖地震を一回経験してるんだけど、マンションでそんなに揺れるはず無いだろうっていうのが頭の中にあったから。上なら揺れても、一階ですからね。それが、一階もだからね。死ぬだろうって感じでしたからね。

何せね、居住者の方も恐怖感がすごかったですからね。7階の方、男の人でも布団持って出てきたんだから最初に。ここにいられないって。で、軽自動車の中にね二晩ぐらい泊まったりね。だから管理室のトイレっていうのは必要だったんですよ。

地震の後すぐ管理会社や建設会社の人が来て、主要構造部に大きい被害は無かったですと話はしてくれても、その地震を体験した時の恐怖が薄れるまでは、知識的なことで安心だと言われても体が納得しないという。そうだと思うんですよ。

――貴重なお話をありがとうございました。

(聞き手:鈴木裕人 マンションサポート福島代表・マンション管理士)

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