当サイトは東日本大震災を被災したマンション管理組合関係者(マンション居住者、管理組合理事長・役員、管理会社担当者、管理員、工事担当者、設計事務所、マンション管理士等)の体験談を紹介しています。
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2011/10/20

B-01 宮城県仙台市Eマンション・管理員の体験談

取材地:宮城県仙台市
取材日:2011年7月25日

――この度の被災についてお見舞い申し上げます。地震の当日は、どちらにいましたか?
この管理員室にいました。結構揺れましたね。私、ラジオを持っていまして、このラジオから緊急地震速報が入りまして、今までにない状況なものですから、ヤバイなあと思って。ちょっと揺れてるが、すぐ向かいの公園に逃げたんです。危ないかな、と思って。火は全部止めて確認して。

居住者の皆さんも同じく向かいの公園に行かれて、揺れが収まってから戻ってきましてですね。揺れてる間は動けないもんですから、揺れが終わってから。雪が降ってきて、寒かったもんで「ああこれでは暖房もない。困った。」と。公園はとにかく人がいっぱいで何も無くて寒かった、と言ってましたね。

――その地震の時に、このマンションにはどれくらい人がいらっしゃいましたか?
半分か3分の1くらいおられましたね。ここは古いマンションですから、お年寄りというか女性の方が多いんですよね。

地震が収まってから、一人住まいの住戸はトントン叩いて安否確認したんですけれども、だいたい皆さん無事でよかったです。しかし、皆さんの恐怖を抑えるのに苦労しました。「大丈夫、大丈夫」ってね。

――何かこれを準備しておけばよかったな、という物はありますか?
ちょうど停電になったものですから、雪も降ってきて暗くなってきましてね。ロウソクが欲しいという方が2、3人いました。しかし私は何も用意してなくて。震災、被災の準備は何もしてなかったですね。やっぱり水の買い置きとかロウソクとかは用意しておくものだな、と思いました。まあ結果論ですけども。

――居住者の皆さんは、当日は避難所に行ったんですか?
皆さんマンションに帰ってきて集まられたんですけども、上に暗くて上がると危険ですから、避難所の中学校に案内したんです。中学校に避難したのは全員ではなく、田舎に帰った方もいました。余震があったものですから、やっぱり怖いということで、長い方は約1ヶ月近く避難所に居た方もおりますね。一応いったん帰ってきて片付けて、また夜になると避難所に戻るという感じでしたね。

――地震後のライフラインのストップによる苦労は?
エレベーターが止まりましたものですから、居住者の皆さんは階段の上り下りが大変でした。一応灯油を運ぶとか、水を運ぶとかを見た時は運んであげたんですけれども。

停電の方は、2日くらい後かな、すぐに回復したのですが、エレベーターが復旧したのが4月4日なんです。当初は「部品がなくて、だいたい2ヶ月かかる」と言われたんですが、急に4月4日に来て、すぐ直していただきました。一日で。これはすごい助かりましたね。

ここは12階建てなので、上階の方は3日に一回とか2日に一回とか階段を降りてきて、色んな買い物をする。まあ買い物って言ったってこの辺は被災していましたから、そんなに食べ物もなくて。近所にコンビニがあるんですけども、そこも全部閉まっちゃって、買い物するにも皆さん不便でしたね。ただ、情報を見てお店が開いているところを皆さん知ってるようなんですね。この辺はやってるところが多いものですから、商店街に近いものですから、「あそこが開くみたいだ」と皆さん話を聞いてですね。

高置水槽の水はひとつ残ってました。残ってる分だけ使って、でもすぐ無くなっちゃいました。水はだいたい10日くらいで復旧しました。水が無い間は、居住者の皆さんは給水所に行かれてたのですが、結局使うのは、飲み水とトイレの水だけなので、そんなに皆さん苦労されてなかったようでしたね。

ガスは遅かったですね、復旧したのは4月14日ですね。

――車のガソリンも困ったんじゃないかと思うんですが。
ここは車持ってる方もいますけども、ほとんど車乗らないで買い物っていうか。朝早く行って並ぶような感じですね。

――地域の方、近所の方との連携等はありましたか?
特には無いですね。あとは企業の方が多いもんですから、個々で対応してると思うんです。この辺の企業は自分らで対応してるっていう感じでした。

――震災中の勤務上の苦労なんかはありましたか?
やっぱり皆さんエレベーターとか電気とかガスがいつ頃復旧するかっていうことが一番気にされてることですから、その問合せが多く苦労しました。ラジオとか聞いて対応をして下さい、と言うんですが、なかなかお年寄りの方はこの窓口に来て、「復旧するのはいつ?」ということで。

私も朝来る時に、家で情報を収集してここで皆さんに対応するんです。 インターネット、新聞、ラジオ、テレビ等で何月何日頃にガス復旧とか水道復旧とかでるもんですから。それを一応持って帰ってきてここで対応するのですが、私が何でも知ってるような感じで来るんですよね。

それらは紙に書いて階段のそばに全部掲示しまして、情報が見えるようにしてですね。状況が変わるとまた張り替えて、です。

――管理組合の状況は?
地震の後の1回目の理事会は3月はできなくて、4月20日ですね。皆さんそういう余裕がなかったですからね。4月になってから建物自体をどうするか、って協議をしたみたいですね。それからは月1回はやってますね。

今はもう平常に戻ってまして、被災した箇所を直す方向で理事会を開いています。昨日臨時総会がありまして、予算も決まりまして、あとはやるってことで。工事はだいたい9月始めか8月末か、その頃でしょうか。

――当日はご自宅まではどうやって帰れたんですか?
私、たまたま車で来たもんですから、とにかくこのままずっとここに居ようか思ったんですけど、ここに住んでる方のお知り合いに、私の自宅近くの方がその時いて、「管理員さんどうやって帰ったらいいかしら?」って言うんで、「私車持ってきてますから一緒に帰りましょう。」って送っていったんですよ。

――道路は相当混んでたんですか?
大体、普通であれば15分か20分で行くんですが、1時間以上かかりましたね。信号もだめだし。

――ご自宅の被害は?
家は山の上なんですが、半損でした。家には家族が居るもんですから、最初にばーっと片付けて、週明けの月曜日から勤務するので、後は家族に任せました。家の中の物が倒れて茶碗が割れた程度だったからよかったですけど。

自宅では家具の転倒防止の突っ張り棒をしてましたね。宮城沖の仙台の地震があるということで、私が、管理員がこんなんじゃ駄目だからっていうんで、自分から率先してやらないとって。人に言ってるだけでは。やらないと、ってことで。ただ、1箇所だけ、天井のボードが破けちゃって、反動で外れて倒れたとこがあったんですね。ちょうど野縁に当たってればいいんですけども、野縁に当たってないところにやったもんだから、ポーンと破けちゃったんですね。

――地震後の建物の状況はどうでしたか?
一応巡回したんですけども、やっぱり壁ですね。ドアの脇の壁の破損が多いんですよね。市の方とか保険屋さんが来て、一応本体には影響はないってことで、本体は特に異常がなかったんようです。

――地震の後管理会社と連絡が取れたのはわりとすぐでしたか?
管理会社とは全然連絡が取れなかったですね。そんな余裕もなかったですし。向こうも余裕なかったと思いますね。電話も携帯もつながらないから、連絡方法ないんですね。週明けに、電話つながってからですね。携帯にでしたね。(聞き手による注釈:管理会社によると、週末にフロントマンが建物を巡回確認できていたとのこと。)

こういう状況ですから希望を言っても、まあお互い様っていうか対応できないと思うんですよね。
10日くらい経ってから駐車場が陥没しちゃって、管が割れちゃってそれがもう対応が大変でしたね。業者さんはどこも手一杯で中々辛い状況で。でも探して見つかりまして、やっと見てもらいましたけど。

――住まわれてる居住者の皆さんからこんなことで困ったというようなお話は何かありましたか?
やっぱり色んなライフラインの供給を早く教えてくれっていう事ですよね。今後どうしようかなって考えてる最中なんですけども、どうもいい案が浮かんでこないんですよ。

情報収集するにしても条件は同じなんですよね。ここに住んでる方と私と情報っていうのはだいたい出所も同じなもんですから、どちらが素早く情報を収集するかが問題ですよね。お客さんからも住んでた方からも新しい情報入る時がありましたね。

ただ、情報を共有するといっても掲示しかないんですね。一軒一軒お知らせするわけにはいかないですしね。掲示するしかないんですよね。とにかく、一番早い情報を素早く掲示するかって事ですね。それしかないですよね。

――ホワイトボードとかでやるのどうですかね?
他のマンションでもそれをやってる方おられましたしね。そういうお話しました。ホワイトボードっていっても階段を皆さん利用するものですから、階段の1階踊り場とかに全部掲示するんですね。必ずここ通るものですから。ただ夜は見えないもんですからね。まあ仕方ないな、と。

――行政でこんなサポートをしてくれたらなというようなことは何かありますか?
行政ですか、あんまりそういうことを考えてなかったですね。自分達で随分対応できたような感じです。罹災証明とか色んなのはね個々で取ってましたので。でもやっぱり、水道とガスはね早く復旧してほしいな、とは思ってましたね。

――他のマンション関係者に伝えたいことは?
とにかく、自分はどうでもいいですけども、やっぱり住んでる方が一番心配なもんですから。幸いにして怪我もなくて、それが一番嬉しかったですよね。住民の方第一。仕事それなもんですから。住民の方が一番ですよね。怪我なくてよかったっていうのがホッとします。

――今日も余震がありましたが、今後に対しての不安はありますか?
慣れてしまったもんですからね。「あっ、またきたか。」って感じなもんで、皆さんもそう思ってると思うんですけども。一応通るたびに、家具の固定して下さいね、って言ってあるんですけど。水もちゃんと用意して下さいと。ここはお年寄りが多いのでね。そういう風に一応はやってはいるんですけども。

築35年になりますので、以前から耐震補強する話は出てるんです。しようかしまいか、お金がかかるからどうしようかっていうことでいました。今回の補修では耐震補強までの話にはなってない。まだ先という感じですね。今回が宮城県沖地震だろうってことで、もう終わったから何年か何十年かはこないだろうって。でも他の情報で入ってきたのは、これは宮城県沖地震とは違うって。そういう話もありますね。

いつも、皆さんと話すんですよね、「宮城沖地震くるかしらね?」「こないよ、私生きてるうちはこないから」、って話し合ってるんですけどね。

――貴重なお話ありがとうございました。

(聞き手:鈴木裕人 マンションサポート福島代表・マンション管理士)

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