当サイトは東日本大震災を被災したマンション管理組合関係者(マンション居住者、管理組合理事長・役員、管理会社担当者、管理員、工事担当者、設計事務所、マンション管理士等)の体験談を紹介しています。
皆さんのマンションにおける、今後の大規模災害対策の一助となれば幸いです。

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2011/10/20

A-04 宮城県多賀城市Dマンション・管理員の体験談

取材地:宮城県多賀城市
取材日:2011年7月19日

(マンションの前面道路にて)
――この度の被災についてお見舞い申し上げます。さっそくですが、このマンションは津波の被害があったと伺いました。
大体15時35分頃ですかね。向こうの川が決壊して溢れてきたんです。津波は緊急事態、すごかったですよ。前の道路にダーッと水が来た。水に勢いがあるんですよ。流れは速いし。そこのグリーンの看板あるでしょ?あの辺あたりで軽車両が津波と一緒にひっくり返ったのね、そしてドアが開いてひっくり返って女の人が出て来たんですよ、コロンと。

水の流れが速くて、その女の人を助け上げている間にだんだん水かさが増えてきて、タンクローリーとかね、保冷車がザーッと流れて来てね、マンションの建物と塀の間はまっちゃって。その間にも大きい車とか人が流れて、どんどん流れて来て。

――人もですか?
人もですよ。助けようったって最初のうちはまだ我々もひざの辺りまで水に入れるから大丈夫なんですけど、後だんだん波が大きくなると入れないですね、危なくて。流れが速いし。助けたくたって、助けられない。人の頭だけがプカプカプカって流れて来るんですよ。男性が車の中から窓を開けて助けてください、と言わんばかりにこっちを見てるんですけど、なかなかこう手を出して、食い止められないですよ。助けられなかったです。結構流れは速いし、本当に水は冷たいし。

水がどんどん浮き上がって来て、車がダッポダッポ流れてバランス崩して流れてくる。人も何かにしがみついているんですけれども、もっとこっちの建物の方であればよかったんですけどね。助けられなかったですね。流れが速くて。最初の女の人だけでしたね。我々が助けられたのは。たまたま大学生も二人居たので、彼らも一緒になって助けたんですけれどね。

(ここで建物内に移動)
ここが電気室ね。この中はね、ここまで水入りました、1m62cmくらい。ここは全部だめ。全部水に流された。この1階は津波が来ましたので全滅です。今このロッカーは立っていますけれども、水圧でガバッと倒れたんですね。ガラスが割れましたよ。片側だけ。今では全部交換は終わったんですけれども。あと、エアコンが浮いちゃって中で泳いじゃって。コンセントも下は全部水没してダメなんです。

地震の時は、自分が管理室の中で座っていたら、こちらから水が入って来て、30cmくらいになってから出て来たんだね。水が入ってきて、扉が開かないほどではなかったんだけども。それで、私は1階の居住者に呼びかけるために建物の1階を回ったんですよ、「津波が来たぞー!」、って。そしたら部屋の中で、「オッケー!」なんて手を上げてる様なもんでね。了解はしてたんですよ。

(建物2階へ移動)
外に、建物の中に入って来れれば良かったんだけど、入れないでいた人がいたんだね。そしたらあそこに病院があるんですけども、病院の方から「下に人が居るぞ」と声がかかって。この建物にね。それで隣の敷地の物置の上にいた女の子に、2階の居住者の方の1本20万円する帯を2本結んで、こっから投げるけれど、なかなか上手くあそこに届かなくてね。次に、あそこにあるフェンスに掴まって、ブロック塀の上を伝ってこの下まで。そして今度は、女の子をパイプ(縦樋)にしがみつかせる。引き上げるまでは30分ぐらいですね。その女の子も相当頑張ったよ。それで女の子だからスカートを穿いているでしょ。だからズボン貸してあげて、濡れてるから。水は冷たいし。居住者、皆協力してくれるんですよ。

それと、津波が来た時に海の方から道路を車がドーンと流れて来たんです。フェンスが皆曲がっちゃったんですよ。今度は車がドーンと来て、信号機から全部皆ここいら飲み込んでいっちゃった。フェンスは2、3日前に直したんですけれども。

――テレビで見るあの濁流、大量の瓦礫交じりのがドーンと?
あれは向こうの通りですね、あっちは3~4kmあんな状態です。

――その日の夜は?
私はこのマンションで寝泊りです。この時は近くに製油所のボンベがバンバン爆発したんですね、12時25分くらいかな。明かりが届くどころじゃないよ。もう炎が強く目に来た。もう炎がボンボン上がってんですよ、大体皆、避難できないからね、その時は。当日は避難できなかったんですよ我々は。それで皆さん12、3人くらいで、2階に入ったり、今度は3階に入ったりして。暗い所だったけど、暖まっていたんですよ、10人くらいで。

男の人はだいたい2、3人くらいでその辺で見回りして。その時、消防の人がボートで救助しに来てたんですね。救助に来るんですが、我々が「ここにもいるぞ」と声かけても助けてくれないんですよ。ヘリもバンバン飛んでいるんですけども、電灯信号を送ってもぜんぜん無反応。というのは、そこが病院なんです。そこの患者さんで手一杯だったんですね。我々みたいな健常者は相手にされませんよね。

――津波は一日で引いたんですか?
引かないですよ。翌日の11時30分にまだ水が地面から1mはありました。次の日の昼前、今度は我々も腹が減って飯も食わなきゃいけないですから、避難所に行くか、と。私が11時30分に避難所に避難するからという事で皆を集めて、道路を横断したんですけども、その時にまだ腰までありました。パンツまで皆さん濡らして、女の人も皆さん濡らして、腰から上、みんな浸かりました。それでまず上の方に、国道45号線に上がったんですよ。そこから、300mくらい。今車入ってますよね?あそこの45号線に消防のテントがあったんです。そこの中に避難をして、次に約100m先の○○中学校に避難したんです。

――管理人さんご自身の自宅は大丈夫だったんですか?
大丈夫です。自宅は高台ですから。家は高台で、岩盤で硬いからですね。でも結果的に11日に震災があってから15日まで家に帰れなかったんですよ。皆さんと一緒にずっと避難所に居て、皆さんと回りながら巡回して散り散りになった居住者を探してましたから。酷い顔して15日の夜に無事に家にたどり着いたんです。

自宅とは、途中で青森の息子から電話が来たんで。それで安否は異常なし。家族全員の確認が取れました。被害がここより無いから。ただ水、電気、ガスが止まった。でも、それは皆同じだから。

――建物を直すのは、外壁に少し直す所があるぐらいかなと見ましたが。
そうですね、ほとんどないですね。後はこの自動ドアだけですが、専門の業者にお願いしました。津波が引いた後はヘドロの始末が大変。部屋のオーナーさんがここに全然来てないから、部屋の中は進んでいない。

この建物はワンルームなんですよ。居住者は学生さんとか、かなり年配の方ですね。そういった人達が入ってくる。健康面についてはかなり気を使わなければならないんですね。地震の当時の入居率は大体70%。入ってる方の最高齢が80歳です。一番若い人で19歳。平均年齢53歳くらいですね。それで地震が発生して津波以降で1階が20世帯あるんですけども、現在は8世帯が退去してますね。今の入居率はだいたい40%ぐらい。

――今後また同じような災害があった時のために、準備したい備え等はありますか?
やっぱり、まず一つは訓練する事じゃないですか、避難訓練。というのは、私、次の日11時30分頃、住民の方を一回避難所に連れて行ったんですよ。避難所の中学校に行くんだよと皆さんに言って、私も一緒に行って、まとまって行ければ良いんですけども、行くからねって何回も話してやっても言う事聞かないんですよ、年配の人。言う事を聞いてくれないですから、絶対に。

皆さんで行ったんだけれども、疲れるとか。近くに小学校もあるんですよ、○○小学校。そっちの近い方に行ったんです。後、途中一回避難所の様子を見て「ああこれはダメだ。」と言って、体育館に行った若者もいるんですよ。そうやって全然言う事を聞かないの。だから避難所が○○中学校なら○○中学校と。避難場所と経路と、訓練をしっかりしなければいけないですね。

――避難場所が散り散りになってしまうと、後で連絡の取りようがない。
私ね、避難してから人探しに体育館に行って呼び出ししてもらったり、あちこち回って2時間も人探しをした。そして結果的にみんな居たんですけど、離れた理由を聞くと、近くに小学校があったから来たとか、俺はここが人が混んでいるから体育館の方に来たとかね。そんな風に年配者は全然言うことを聞かないんです。

私は前職が自衛隊だから、パッと言えば命令1つでダーッと行くんだけれども、そういう認識があるから全然ダメですよ、それが1つ。後、ロープかなんかがやっぱり1つは欲しいですね。要するに今回みたいに救助するにしても、ロープは備えとして必要。3つ目は、通信。連絡も全然ダメなので、会社に連絡するにしても、固定電話もダメだったでしょ。会社からは来れないし、こちらからも状況を報告したくてもできない。来れないし、連絡できないんですよ。したがって、通信がダメだったならば、会社から誰かが現場に来る。誰でも良いからとにかく来て、状況を把握して、上司に報告をあげるみたいな感じ。こっちから報告したくても行けない訳だから。もう報告する手段が何も無い、固定電話ダメ、携帯電話ダメ、1週間くらい全然連絡取れていなかったんですよ。ということで、通信手段、担当者とか会社の方の連絡手段を整備したいですね。

――居住者の皆さんから感謝されたのでは?
いやいや、そんなことはないですよ。言う事を聞いてくれないのが、それがもうネックでね。私は命令系統で皆動くっていうような認識だったから、まったく違ってね。

避難するよと言って、オーバー着てマフラーして帽子かぶって避難所に行くって言った人が、「あっ水ある、じゃ俺いるわ」って言って、戻っていった。「俺はこっち残ってるから」って言って。そういう人にも本当は避難してもらえれば良かったんですけども、皆、しびれを切らして避難した。その人も結果的には来たんです、最後は。

――大変貴重なお話ありがとうございました。

(聞き手:鈴木裕人 マンションサポート福島代表・マンション管理士)

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