当サイトは東日本大震災を被災したマンション管理組合関係者(マンション居住者、管理組合理事長・役員、管理会社担当者、管理員、工事担当者、設計事務所、マンション管理士等)の体験談を紹介しています。
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2012/10/23

A-02 宮城県多賀城市Bマンション・管理員の体験談

取材地:宮城県多賀城市
取材日:2011年7月19日
――この度の被災についてお見舞い申し上げます。
このマンションはですね、津波って言っても海から離れてるんで、そんなに勢いはなかったですね。ジワーっと上がってくるって感じで。とはいっても、マンション入り口の銘板があるじゃないですか、あれが地震の時には元々の所からは動いてなかったんだけど、津波で歩道のほうに動いたの。自然と水位は上がってきたんだけど、見えない感じで下の方は流れがあったのか、まあ流れがなければ上がって来ないから。

津波は、一波も二波もねそんなに差がなかった。段々に増えてきたから。一回引いてとか、全然そういうのはなかった。ずーっと水嵩があるまんまで、歩けるようになったのは、次の日のお昼頃。お昼頃まで、徐々に徐々に水が引いていった感じがするんだけど。

――地震の瞬間はどちらに居らっしゃったんですか?
1階の事務所にいて、地震があって、メールはまだつながってたからまず1階を写メで撮って。メールでまず写真と一緒に被害報告を管理会社に送ったんです。で、それをしてるうちに津波がくるっていうあれがあったんですよ。防災無線というよりも、消防車。

防災無線は全然聴き取れなかった。何言ってるかわからなくて。消防車と周りの人達の言葉で分かった。上にあがっていて間もなく、海側の建物裏手の道路からずーっと水が来るのが見えて、そうしているうちにもう、段々、段々。

駐車場に停まっていた車は流されて、フェンスもみんな倒されて、こっちの駐車場に停まってるのが流れてきてこっちの道路に出たり、っていう状態ですね。

ここら辺ではこのマンションは比較的高かったので、前の道路を歩いていた方とか、近所から皆ここに集まったんです。その日はもう出れなかったから、それで皆、各部屋に泊めてもらって。

泊めてもらった方は20人よりもっといたと思うんですね。日頃は特にご近所との付き合いもそんなにないんだけど、やっぱりここら辺で高い所といったら、あの建物かこっちかなので。

居住者の皆さんも快く泊めてくれたみたいですね。各部屋に分散して。夜中に回った時、一人の方だけ、じゃあ俺ここでいい、って火事(コンビナート火災)を見ていました。それ以外の方は皆部屋に入って。

――車を運転している途中で車を置いて避難される方とかも?
そういうのはねこっちじゃなくて、あっちの産業道路側。こっちの方はあんまり車走ってるっていうのはなかった。夜中に、車から「助けて」ってどこで叫んでいるのか分からないけれど、そういうのはありました。

――当日のライフラインは?
ああ、電気はもう一瞬でストップ。ポンプは1階だったから、津波でポンプ、電気、全部水没してしまって。電気そのものは地震の時点で、1回消えてパッと付いてすぐ消えて、それっきり。水は受水槽で、そこに1回集まったやつをポンプで上げる方式。ポンプがもう水没したから水が上がらなかった。

――津波の水が引いてからは、居住者の方達は避難所に?
ここは避難所に行った人方の方が多いかな。水はそのタンクに溜まってるのを、地震の次の日曜日に住民の方々が、タンクの上に上がって蓋を壊して、そこから水を汲み上げて自分達で使っていた。週明けに私が来てからは下の方のバルブを開けて、そこから汲みだしてあげたんですけど、一回バケツを入れちゃったから、生活用水にしか使えないって。飲み水は給水所に通って。

それが大変だと思う人達と、一人暮らしのお婆さんとか、一人だった人がいるんで、そういう人は避難所に行きなさいって。そのほうが安全だから。食べ物と飲み物とがあるんで。その方にはそういう風に言って、あとの一人暮らしの方には親戚の所とかに行きました。

ただ一人のお婆さんだけなんとしても連絡がつかない人がいて。それでベランダから入ってみるしかないな、と理事長と相談して、じゃあ入る為にはどこかの家に行かないといけないんで、隣の家に行ってベランダから行こうってことで話しに行ったら、「あっ、そのお婆ちゃんは地震の後すぐ山形に行ったよ。」って。それで全員無事と確認がとれて。ここにいる居住者に関しては全員怪我も無く。

残っていた居住者の皆さんは、食べ物はある程度貯えてあった物とか、買出しに行ったりはしてましたね。水も火も使えないからカセットコンロみたいなものでやってたんだと思うんです。

――管理員さんはその日ご自宅には帰れたんですか?
その日は帰れず、次の日歩けるようになってから1回家に帰って。家の方はそういう被害がなかったからまた戻ってきて。あとは曜日どおりに勤務してました。

当日は自宅の状況は分からないままでしたが、あそこの川から向こうはもう車が普通に走ってるのが見えたから。で、話聞いてみると、向こうの方は被害が無しで地震の揺れだけだった、という話だったんで。私の家の方はそっちの方だったから、まあ停電と水道が出ないのと部屋の中がどうなってるか。おそらくガチャガチャになってるとは思うけれども、それほど心配はしなかった。

――建物の被害は?
玄関のドアが変形してお宅から出てこれないっていう人は無かったですね。ただ開けにくい、って所はほぼ全部ですね。ドアの角が膨らんだりしてるから。

――役に立った備えとか逆にこれがあったらというような物は?
まず情報だね。ここはテレビ見ちゃ駄目、ラジオ聞いちゃ駄目だから。そういう情報が居住者から聞かないと全然伝わってこない。せめて地震とかあった時にラジオがあれば、どこが震源地って。今は津波っていえばすぐ消防車が走ったりするから大丈夫なんだけど。

ラジオ・テレビ見られないっていうのは会社の方針というか、居住者に対してのエチケットみたいな。それはこれからはどうしたらいいのかちょっとわからないんだけどね。

――震度5を超えるような余震だと、震源地や津波警報が気になるのでは?
今はすぐ消防の方で走って歩くので。防災無線の放送は市でやるんだけど、何言ってるか全然聞き取れないですね。すぐそばにあるわけじゃないし、数箇所にしかないんで。消防車の放送が一番よかったです。

――ライフラインが回復するまでの苦労は?
まず、ここら辺は水害地区だったから、まわりでガス出たとか言うと、居住者の皆さんの話題になるわけですよ。隣出てるのになんでこっちは出ないんだって、そういうのが大変かな。一応説明はするんだけど。

水害があった地区はまだ出てないんですって言っても、どこで聞いてくるのかあっちで出てるとか、ガスの復旧も向こう通ってここら辺を抜いてその川向こうが出たりした。そういうのがあったからなおさら。

情報を取るところも、どこだったらいいのか。電力も水道局も、電話ってつながらないんですよね。情報を入れようと思っても、何回かけても混雑していて。災害センターってあるんですけどもそこじゃ大雑把な事しかわからないんですよ。電話が担当のところに通じないってのが一番イライラしますね。

――ライフラインが戻って、次は建物を直さなくちゃいけないと。
まず機械式駐車場は、下のピット内に2台ほどあったんですけど、まず水を汲むポンプがもう停電してしまったからだめだし、ずっと海水に浸かってたんで動かなくなりましたね。モーター類が全部水に浸かったんで。手動で上げて車を出して、あとそのまま下の方は使わないようにしました。直さないんじゃなくて、直すだけで1千万円以上かかるって。機械やモーターその他諸々とかで。

津波があったという心情的な問題というよりは、やっぱりお金が一番問題なんじゃない。それ直す分で共用部分のヒビ割れだとかそういうもの直したい。毎月入ってくる駐車場代が無くなるんだけど、それにお金費やすよりは直すのは諦めてということになるんじゃないかな。

そういう理事会は既に開いていて、説明会みたいなものだけで4回、理事会がその都度。今度は総会ですね、直す方向には向かってるんですけども、まずは被災状態の報告会とか、今度どう直すか、第三者が見ないと皆さん納得しないっていうか、だから今回は管理会社は直すことに関してはタッチしないで、第三者に任せてという方針をとる。最初の説明会を4月に2回開いてますね。理事会は19日に開いて。

――理事会は日頃から活動が熱心?
熱心という訳ではないだろうけど、何にしても、理事会にかけて直すようなポンプとか、そういうのは直さないと。水が通ったらすぐ直して出るようにして、理事長と相談して直すのは最低ラインを直して、理事会をっていう感じ。一応、理事長だけの承諾は得て、っていう感じでほぼ決まって。工事は総会で承認を得れば、予定としては8月じゃなかったかな?それは決めてあるみたいで。


――他のマンションに、これを用意しておいた方がいい物などのアドバイスは。
ここら辺の人方は、まさか津波がこっちまで来ると誰も思ってなかったんですね。おそらく今回こういう風になって、他の所ももしかしてって思うようになるかも知れないけども。今回多賀城の産業道路でも車で逃げる人が多かった。そして車の中でそのまま亡くなったって人がいっぱい居るんで、津波が来たって聞いたら高い所に逃げる、歩いて逃げるのが一番。

車が流れない方法ってないんですかね?結局片付けるにしても車がもうあっちこっちに、ここも駐車場の車は全部流されたんだけど、他の車が流されてきて。で、公共とか市では敷地内の事はやってくれないんですよ。何回も言わないと。迷惑にならないとやらない。例えばガレキとか邪魔になるだろうと思って敷地内に積んであると取りに来ないんですよ。道路に出たままの方が早く片付ける。あれもなんとかしたいですよね。

うちのここ全体がヘドロですから、全部駐車場の一角にためたんですよ。そしたら、道路はやってくれるんだけど、しばらくやってくれなかったから、市の人が回ってきた時、何でやってくれないの?これは個人の財産とは見るからに違うって解かるでしょ、だからこれは持ってってほしいって。そこら辺が不満ですね。

今回思ったのはね、確かに瓦礫とか大きい物片付けるのは大変なことは解かるんだけど、それは回りが動き出さない事にはなんとも出来ないから、一人ででもまず10日間かかってでも全部集める事は出来るんですよ。そういうのは出来るから、きれいに片付いて今の状態になった時に何人かの人手で、門の泥落としとか、そういう人手の方が欲しいですよ。それこそ、災害あった時は日常のことは何にも出来ないから、ヘドロとか瓦礫とか片付けるしかないから。

こうやってきれいに見えるけども、どこかまだヘドロの塊があるから、ヘドロはどんな所にも入って行って溜まってるから。いまだここら辺は風が吹くとヘドロが飛ばされて臭いが凄いんですよ。そういうのやるにしても日常の仕事しながら一人では中々大変だし。

それこそ震災の後は日常の仕事をやってる暇っていうか、やりようがない状態だから。泥の上をみんな歩くし、それを片付けるの無理。それこそ、ヘドロとか一人で全部片付けて集めるのに10日位かかりましたけどね。その後の方が人手がほしいかな。

――最初の瓦礫の片付けが大変なんだろうと思ってました。
それこそ、瓦礫を片付けないうちは、他の事は何にも出来ないから。窓だって毎日やってるのはやってるけどもやりようがないくらいだから。まず、ヘドロとか瓦礫とかをある程度のところに集めちゃえば、行政の方で持って行ってくれるんで。それは一人ででも何とか出来るんだけど、そりゃ人手があるにはこした事はないですよ。ただ、ここだけきれいにしても回りがそうだとやりようがないんですよ。きれいに水で流してもまた外から入ってきて同じになっちゃうし。

――最後に皆さんに伝えたいことがあれば。
津波は怖いっていう事だけですね。 

あと、ヘドロの片付けはやっぱり道具がないと駄目ですね。スコップとかは一番役に立たない、カッパギ(スクレイパー)っていう、黒いゴム付いたような。あれが一番。ひっぱって集めて。スコップとか役に立たない事はないんだけど、ヘドロとかをカッパギで集めて流してやるしかない。それが一番早い。

今後に対して不安に思っていることは、津波が来ること。今、仕事中は、必ず持ち出すものだけはすぐ手に取れるところか高いところに吊るしてる。地震は揺れたり崩れたりだけど、津波だけは今回初めてやっかいだと思った。ヘドロの量、どういう所でもちゃんときれいに2cm位の厚さで全部埋まりましたから。

――貴重なお話しをどうもありがとうございました。

(聞き手:鈴木裕人 マンションサポート福島代表・マンション管理士)

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