A-01 宮城県石巻市Aマンション・管理員の体験談
取材地:宮城県石巻市
取材日:2011年7月19日
――この度の被災についてお見舞い申し上げます。地震の当日は、どちらにいましたか?
たまたまなんですけど、カラスが多いので糞を除去するため、バケツとブラシを持ってエレベーターに乗っていたところでした。その時に地震が発生したものですから、ちょうどこの建物14階ですので13階か14階になったところで地震がはじまって、すぐ近くのボタンを押して止まるようにしたのですけど、14階まで行って止まり、そこから無理無理ドア開けてやっと外に出ました。
揺れがちょっと長かったんで、エレベーターから脱出してもまだ揺れてたんで、その時はもう立てる状態じゃなかったですね。やっぱり高いもの、上にいくほど揺すられますので、もうあの壁のところににしがみついてた状態でいました。
――居住者の皆さんの様子はいかがでしたか?
皆さんすぐには出てこれなかったんですね。揺れが大きかったものですから。落ち着いてから皆さん非常階段を使って降りてきたという状態で。私も上から各部屋を異常無いか回って確認し、「大丈夫ですか?」と声かけをしながら。
降りて来られてからは、皆さんここ、マンション1階の集会室に居ましたね。外は雪、みぞれだったんで。それでも揺れが酷くて外に出られた人もいたんですよ、危なくて。かえって外に出ると窓ガラスの割れた破片が散らばって落ちたりすると危ないので、中にいて下さいということで誘導して中へみなさん集まったんですけど。余震もずっと続いていたので。
――玄関の扉が変形して出てこれないお宅はありましたか?
たまたまいない部屋のとこはそういう変形が多くってですね、いるところの人はまあ開けて出られたということで。
居住者の中に、ご老人の方で日中一人の方がいるんです。それ知ってたのでその人のところにまず「大丈夫ですか?」って行ったら、ベットがあるんですが、ベッドの上にそのタンスが倒れていて、おばあさんが下敷きになっていたもんですから、タンスを起こして助けました。まあ行くまで凄かったんですけども、色んな物が散らばっていて。
その方は体の大きい方で、病気であまり動けないし一人では運び出せず、ましてエレベーターは動かないので、倒れた物など全部除去してベッドの上にいてもらい、ドアを開けて何かあったら言ってくださいという状態にしました。
他にもご年配の方がいたのですが、歩ける状態だったので、もう非常階段を使って私のほうで連れてきて下におりてもらいました。あとはみなさん非常階段でみんなこちらに集まってきた、っていう状態でした。
――それから津波がきたんですか?
すぐにはこなかったが余震が酷くて、まずみんな連絡とりだしたけど、つながらず子供のいる奥様たちは学校に迎えに行くって。
――津波の警報がでているのはラジオで知ったんですか?
いや、ラジオもなにもないんです。本来は市の防災無線で話をするんですけどもそういう情報がほとんどとれなかったですね。
津波がくる、って意識はなかったです。地震が凄かったから子供が心配で迎えに行こうと。
津波がきても今までほとんどちょっとしかきたことがないので、皆さんそんなに津波がくると意識がなかった。
当初、津波の警報は全然なかったですね。しばらくしてからやっと防災無線がつながって、「地震が発生して津波に注意して下さい。」と。とりあえずまずここにいましょうとなって、ここにいれば大丈夫。津波がきたら上に逃げようと言っていました。
――皆さんでどこかの高台の避難所に移るといったお考えは?
そうですね。ここですね。高台よりここに居ようという雰囲気でした。
――津波の被害はいかがでしたか。
一回目来たときは、その道路の青い車がありますよね、一回目はあの敷地前の道路まで。それから一回引いていったんですよね。津波が来て水まではかぶらなかったものの、その後水が引いて、2回目の方が大きかったです、道路からするとかなり高台になってますが、建物まで津波が来ました(※聞き手による注釈::集会室の床面から1m程度まで浸水)。
その時にはみなさん階段を昇って、ここ1階は居住スペースがないのでみんな、階段を登って各部屋に避難する形になりました。車はほとんど、ザーッと駐車場にあったものが流されて、敷地外までは出て行かなかったのですが。
――すぐ停電になりましたか?
すぐ停電しました。高置水槽にあった水は、偶然洗濯機の水を出したまま遠出された方がいて、ホースが外れてそれが原因で水漏れがあり、水も無くなりました。水漏れは、10階から9階、8階といった具合に下まで落ちました。それで溜まっていた水がロスしました。
――当日一晩は水も電気も何もない状態で?
上の部屋に避難しました。あのおばあさんがいるところは何人か一緒に入っていただいた。お勤めの方は旦那さんが勤務先から帰ってこれない、奥さん一人しかいないというのがほとんどでした。
卓上のカセットコンロなどは一切ない。そのときに残ったものを分け合って食べる、ビスケットやあめなどを分け合って。
私もその日の夕方に帰ろうとしたんですよ。ある程度落ち着いてきたもんですから、帰ろうとして仙石線という線路の高架橋があるのですが、そこまで行ったものの、もうそれ以上行けなくて、水が増えてきて戻る事もできなくて、結局その高架橋の上で約10人くらいの人と、あの雪の降る中いたんですよ。それで、あまりにも寒くて、流れてきたタイヤとか、当時冬だったものですから灯油缶とかも流れてくるんですよ。それ全部拾ってですね、火をつけて、それでなんとか夜をすごしたっていう形ですね。
あっちにもこっちにも行こうとしたところ結局行けなくなって、段々水が増えてきたものですから、その高架橋の上に取り残されてしまったんですよ。水に浸かりながら行けるかと思って行ったんですよ、行けるかと思って。まあ自分の家も心配でしたから。
自宅に戻れたのは次の次の日でした。2日間くらい外で野晒しでした。水がすごいため、どこにも行けないんですよ。自衛隊のヘリや2人位乗れるカヌーが救助をしてた状態で、かなりの人がまだ家の中に取り残されてて、うちらのとこまで回ってくる余裕がなかったんですよね。
最後もうどうしようもなくて決心して、バッグに携帯と金と全部入れて、バッグにひもがあるので顔の横にバッグのひもを結んで、線路沿いを泳いで帰りました。
――居住者の方たちは避難所に?
居住者の方たちはずっとマンションにいました。3日くらいで水が引けてきて、一部の居住者の方たちは市役所に避難しました。物資は市役所に行ってもらって来るか、市役所の職員の方たちが運んできてくれました。
ケガされた方はおられなかったですね。また、地域との連携というよりはマンションの中で連携をとってみんなで助け合って乗り切ったという感じです。
私も、ここから家に帰る前に市役所に寄って行って、ここのマンションに30人か40人残ってますので、支援なり物資なりお願いします、って言ったんですけども。
――行政のほうでもそういった情報かなり貴重だと思うんですが、把握できてるような感じでしたか?
もう紙に書いて、こうですよ、こうですよって。30人ぐらいいますと、怪我した人はまだおりません、病院に連れてくような人もおりませんので、まあ大丈夫です、ってことで紙に書いて渡したんですけども、それを見てどうしたどうかはわからないです。
――水と電気はしばらく止まってましたか?
そうですね。実際このマンションの支援物資の配給が始まったのが16日からですね。それまではみなさん何とか食いつないでた。
――4日、5日ですから、かなり大変ですよね。
お米だって炊けないし、レトルトだってないですから。あとは電気がきたのが3月23日ですね、電気は来たたけどまだ水は来てなかった。やっとエレベータが26日に直りまして、水が使えるようになったのは30日ですね。
水は、受水槽のバルブが壊れてしまいまして水が上げれる状態じゃなかったものですから、それを修理してからという形ですね。業者さんもなかなか来れず、山形の方から来ていただいたんです。
その間も居住者の方たちはペットボトルを持って水を汲みに行ったり、エレベーターも使えない時は上の方は14階まで物を持って階段を歩いたり。ある程度落ち着いてからは一部屋にいたというよりかは皆さんそれぞれの部屋に戻っていました。
それで、仙台に勤務されてた方も4日後くらいには無事に帰ってこられたみたいで。歩いて。
――歩いて?!
仙台からですね。一人の方は4日くらいで帰ってきました。
――被災中の管理員業務はどのようなものでしたか?
通常の管理員業務というよりかは、避難所の人みたいな、物資を貰って、その物資を皆さんにわけるくらいしかできなかったですね。水も何も無いし。往復すると1時間くらいくらいかかるんですよ。さらに、道路上は車からなにから全部あるんで。そこをよけながら来るからそれで1時間くらいかけてきて。
――仮設トイレは?
トイレはもうほとんど使えないっていうか、止まってた状態なんですけども、汲んできた水をタンクに入れて流すってかたちですね。あとは雨水を溜めてた方もいました。上水道が壊れてたから、バケツ置いて雨水を溜めて、それをトイレにね。
――地震の後の建物の補修については?
地盤沈下したので、車が駐車できるように砂利を入れたりとかですね。また、この建物が傾いていまして、一番高いところで約41cm北側の方に傾いています。それで傾いた原因が何かってことで、柱にひびが入っているのか、折れて傾いたのか、原因を調査するために1本だけ基礎の状態の点検、調査を今日からやりだしました。
これがだんだんかなり傾いていくようなら問題ですが、これで止まって柱も大丈夫であればある程度床を盛り上げて平らに直していくって形になると思うんですけども、これ自体をおこすとなると何億って金がかかるらしいですね。ですので多分起こしてって作業はやらないみたいですけど。
――管理組合での地震保険への加入は?
たまたまここは地震保険入ってなくて。火災と損害保険しか入っていなかったんですね。罹災証明も最初は一部損壊とか、半壊とか、大規模半壊とか3種類にわかれて評価になったんで、それはおかしいと、マンションはあくまでも一種類じゃないと。それであの問題になりまして、現場を見ないでそういう判定されたもんですから、でいったん苦情申し立てというか判定をもらったんですけども、それでは納得で きないと不服申し立てをしまして、再度市のほうからそういう建築業者の専門家をいれてもらって確認していただいて、まあ大規模半壊、と。
そうすると、国とか県、市の見舞金とか全然違ってきますのでね。応急修理制度とか生活者債権支援制度、それに支援金が出ますのでそれを使って今後これを直していくと。ただし、色んな業者、あとは物がない状態なので、なかなかその業者をつかまえられず。仕事はあるけども、工事ができるのか、できないのかってことがですね。
――すると管理組合の役員さん達も大変では?
一 番被害の多いとこですね窓枠が曲がって隙間が空いている状態なんですよ。あとは壁に穴が空いたりですね、まあ今こういう暖かい時期だからあれですけど、こ れから冬とか寒くなったときに大変ですので、そういう方は優先的に直しましょうってことにはしてるんですが、なかなかそういう業者さんが見つからないという・・・。
――理事会を開けたのは4月になってからやっとというような感じですか?
そうですね、4月28日ですね。とりあえず、水、電気、ガスがこない限りは風呂にも入れませんし。ここはガスで風呂を沸かします。ガスが通ったのは4月14日なんですよ。
――理事会は4月28日からここまでかなり頻繁にやっている状態ですか?
いや、頻繁にというよりもなかなかできないっていうかですね。調査したり見てみないとわからないと。この建物がどうなっているのか現状調査しないといけないと、その調査する人がなかなかつかまらない状態なんですよ。
進めて行きたいけれども判断する材料がないっていう感じで、この建物がどのように壊れたのか、また傾いた原因が何なのか、ですね。この色々直すのをみるにしてもそういう業者の方でないとなかなか分からない。このヒビが入ったところを直すのにはこういうのが必要だとか、そういう調査、見積もりとかする人がなかなか見つ からないという状況なんですよ。
――これから日本の別な所で大きい地震が起こり、同じように津波が来るかもしれない。それに向けての対策としては?
私がこのマンションに配置されたのが月なんですよ。配置されて約1ヵ月後に地震が発生したんです。それまでそういう危機管理は、何かあった時は、あくまでも電話が通じて話せるって前提で、何かあったら管理会社に連絡してくれよという状態だったので、こういう津波が発生した時はどうするのか、そういうマニュアルが無かったものですから。
窓のサッシが開くところいいんですけど開かなくなった場合ですね、そういった場合にバールなどが必要ですね。とりあえずここ何も無かったんです。そういうバール、ハンマー、トラロープとか。ただし今度中に入ってくると占有物になるんで、勝手に壊すことできないんですよね。
――住戸に人がいるのかもしれないし、確認の取りようもない。その状況でどこまでやっていいのか分からない。そういう状況は誰も想定してこなかった。
そうなんですよ。ある程度、そういう災害マニュアルというか、緊急時の対応マニュアルがあればいいいいのかなと思います。管理会社に連絡も取れない状態になってしまうので、そうすると私個人の判断で、その場の状況判断になっちゃうので、ある程度経験があればいいんですけど、たまたま私の場合ここに勤務して1ヶ月という状態 で、どこに何があるか自体も把握しきれてない状態だったんです。(聞き手による注釈:管理会社によると、地震に対応するマニュアルは管理室に整備されていたが、津波に対応するマニュアルまでは無かったとのこと。)
――管理会社などで緊急度に応じて、破って入るのも致し方ないというようなマニュアルがあれば・・・・・・
そうですね、それに基づいて動きやすかったかもしれない。勝手に人の部屋に入っちゃ駄目だから、って言われてたので。苦情だったり問題になるからやめてくれ、と。隣近所に行ったり、勝手に入って物を出したとか、そういうのは頼まれても一切やっては駄目と。勝手に入ったりしたら問題なので、あく までもその人の許可がないと駄目だから、と言われてたので。
――先ほどのお年寄りを助ける時には、もうそんなことを構ってられない緊急の判断があったわけですね。
そういう病人がいたってことはたまたま、ある程度前もって把握していたものですから。ご家族もここにその方が居るのは分かっていても連絡とれないし、マンションにも連絡とれないしという状況だったのが何日も続いたわけです。
――今後も同じような災害が起きるかもしれないという不安は?
特にこの地震は宮城県沖地震と違うという、別個ですよといわれて、まだ宮城県沖地震は来てないんですよという説もある。すると、地震がもう一回くる可能性がある。元々は何ともない状態で今こういうダメージを受けているのだから、その時にはもうどうなるんだろうね、と。持ちこたえるのかなという心配はあります。
――行政の支援に対する要望は?
行政の支援は、とりあえず生活する上で水ですね。あと食料ですか。あと明かり、ライト関係ですね。最初何日間かじゃない、10日以上はずーっと真っ暗だったんです。管理会社からの物資は、やっぱり水とか缶詰類とか、緊急用の物資をを運んできていただいたのが、助かったなあということですね。
――今回の取材に当たって、管理員さんご自身だって被災者であると。しかし、マンションという職場に来てしまうと、居住者とサービスを提供する側となってしまう。このような地震の時もそういう構図でいいのかと思いながら来た。
居住者に支援物資や食べ物をいかにして取りに行ってもらうか。あとは皆さんがもう歩いて色んな所に、こっちよりも東側の方面はまだましだったので、並べば帰るというような状態だったので、みなさんあっちのほうに歩いて、リュックを背負ってですね、買出しに出 かけたという方がほとんどですね。
ここにくる物資ってある程度限られてますので、パンとかおにぎりぐらいしかないものですから。家族の多い方はどうしても足りない分は自分でもう買出しに行くってかたちでですね。
支援物資は、この部屋、何号室に何人いるっていうこと、おにぎり三つとかですね、パン3個とか、そんな感じで分けてましたね。あとペットボトルの水と。
――管理会社と連絡が取れたのは?
私が避難所へ行って、NTT電話を使った。避難所にNTTが開設してくれたんでそこでやっと通じたんですね。まず大丈夫だっていう、私のほう安否確認していただいて、であとマンションのほうの状態ですね。亡くなった方とかそういう怪我された方いるかどうかという話ですね。
管理会社の担当者がマンションに来れたのは3月16日になってからです。それまでは道路が冠水し、瓦礫もあったので通行できない状態だったのです。
――居住者の関係の方で、そういった被害があった方も・・・・・・
旦那さんが亡くなられた方とか、港関係で両親が亡くなられた方とかいますね。
――これから、今後に向けて最低揃えておきたい物は?
生活するうえで水と電気、発電機みたいなものあればいいんでしょうけど、なかなかそういうのは無理なんでしょうね、やっぱり。それがあればある程度電気がね。ロウソクとか何とかっていうと火事になる可能性もあるし。懐中電灯は電池を買えなかったため、ほとんど駄目でしたね。普段は電気ですから、皆さん備蓄をしていなかったもんですから。何百年に一度しか来ないっていうのだとどうしても、やっぱりなかなかね。また余分なもの置いておく所もないんだろうし。
――貴重なお話をどうもありがとうございました。
(聞き手:鈴木裕人 マンションサポート福島代表・マンション管理士)