Z-01-4 福島市在住・マンション管理士の体験談4
2011年08月26日寄稿
福島市在住マンション管理士
(さあ、生活再建そして復興なのですが・・・・)
市内全域の水道は10日前後で復旧しましたが、震災直後から深刻だったガソリン不足はいつまでも解消せず、被災都市の住民の再起を妨げました。乗用車の使用を極力控えていたのでは足を確保できず、本格的な復興はなかなか進むものではありません。しかしこうした事態も政府の被災地優先の特別措置がやがて効き目を現して行きましたから、本来であれば順調に上向いて行くのが通常のストーリーです。
ところが、福島には岩手や宮城の他の被災地とは違う特殊な事情が震災当初から生じていました。インフラ停止や飲料水・食料の買出し、ガソリン不足は忍耐強く克服されても、原発の水素爆発、それに続く大量の放射能飛散には対処するすべを持ち合わせません。震災当初、断水と放射線汚染を恐れ、他県の実家や親類を頼って或いは先方から促されて、マンションを離れ一時疎開する住民が多数いました。管理組合の役員の中にも「すみません、暫く留守します」と本当に申し訳なさそうにマンションを離れる人がいましたが、それも無理からぬ事でした。もっとも、当地の平穏が取り戻されて行くのを人伝に聞いて、やっぱり元の生活に戻ろうと多くが還って来ました。やがて、放射線汚染の問題の深刻さがマスコミを通じて徐々に明らかにされて行き、またインフラの復旧等トラブルが解消されて来ると、原発問題だけが否が応でも身近にクロ-ズアップされて来ました。マンションのある住民は、津波で亡くなった宮城県内の親戚宅を見舞いに訪ねた際、逆に「これから福島に住むあなた達は大変だ」「頑張りなさいよ」と同情され励まされて来た、と嘆いていました。
原発の水素爆発と大量の放射能飛散のあった当時、その本当の恐ろしさを知らされていない私達は愚かにも飲料水を求めて日夜給水場所に行列していました。足を確保しなければ仕事にもならないし、万が一の時遠くに逃げることもできないから、15㍑程度のガソリンを求めて生真面目に戸外で何時間も待ったものです。それを数ヶ月経ってから、あの時どうしていましたかなんて、今更健康調査のアンケ-トをとるとか、ふざけた話ですよ。今は危険だから極力外へ出ないように広報する、給水車が一軒ずつ廻るとか、戸別にガソリンチケットを配って順番を確保するとか、危険な状況を少しでも回避する手段が何故とられなかったのでしょう。政府行政が「危ないから極力外に出ず待機せよ」のお触れを出してくれれば、住民に多大の不便を強いることでも、また詳細に理由を知らされなくとも、従順な福島の人達は大して文句を言わずに付き従ったと思います。また、そうやってでも、政府行政には国民を危難から救う責任があるはずだと思うのです。原発の地元の自治体とその住民は、爆発のその翌日には早速に放射線の影響の軽微な県外等へ移動しましたが、常々原発事故の恐ろしさをよく知らされ、きっと一番に逃げろと言われた結果であろうその行動がいかに非常事態であるかを裏付けているのでしょう。








