Z-01-1 福島市在住・マンション管理士の体験談1
2011年08月26日寄稿
福島市在住マンション管理士
(その日の私の体験)
あの日東日本大震災がマンションを襲った時、今までとは明らかに違う突き上げる鳴動が私を外へ外へと促しました。私が仕事をしている事務所は14階建マンションの1階にありますが、地盤がよいせいか、少々の揺れでは即座に気がつかないことも度々です。それだけに常日頃から大地震の時に万が一にも外へ逃げ遅れて下敷きになるのだけはゴメンだと思っていました。ただし、闇雲に外へ飛び出してガラスや看板等の落下物にやられる危険も怖いと頭に置いていました。しかしその時の揺れはそんな予備知識や先入観を一切忘れさせ、とにかく恐怖の一心で、マンションから通りへ飛び出してしまいました。
私と同じように近隣のビルや商店からも多くの人達が通りに出て来ていました。この通りは両側に広い歩道付きのメインストリートですが、行き交う車も揺れの大きさに当惑してストップしていました。
今までの経験は大概は通りに飛び出した辺りで揺れが収まり「今の地震は強かったなあ」というところですが、付近の建物が激しくきしむ音と突風を伴うような揺れがますます強くなって行きます。マンションから歩道へ飛び出した私達ですが、これにはたまらず無意識に建物から遠ざかるように多分フラフラと車道へ迷い出てしまいました。誰からともなく「もっと広い所の方がいい」の声に導かれて、交差点斜向かいの市営駐車場へ逃げました。そこへ着いてそろそろ収まると思った揺れが再度激しく始まり、逃げる我々をどうしてもやっつけずにはおかないというように激震が続いて止みません。私達はとても立っていられず伏せの体勢で、見知らぬ人とも手を取り合って何とかこの窮地をやり過ごそうと懸命でした。激しい揺れのためにビルや建物がざわめき、うなり声を上げるとも又突風が吹くかのような光景は、昔映画で見たワンシーンのように鮮烈でした。ようやく長い揺れが収まり、「仙台沖が
震源らしい」、「震度6強だと」、各自が激震のショックを引きずったまま、まだ事態の重大さが飲み込めてはいませんが、次の行動に移り始めました。
私もマンションに戻り事務所内をざっと見渡しただけで、自宅の様子が心配ですから、急いで車を出しました。これもこのような時には褒められた行動ではありませんが、共働きで我が家は無人なのです。地震後すぐに停電したため信号機が点いていない国道は大渋滞が予想されます。迂回路を巡り巡って自宅にたどりつきましたが、途中何度も車がバウンドするような強い余震があり、およそ平常心には程遠く身の置き所のない道程でした。
自宅は外見は無事でしたが、中に入ると液晶TVが倒れサイドボードから酒瓶やグラス類が飛び出し居間や台所は惨憺たる有様でした。2階も整理タンスが半分倒れかかり、洋服タンスがフロ-リングの上をすべって移動していたりで、今までにはない惨状でした。とりあえず足の踏み場を確保するために、台所や居間に散らばり放題の割れたガラス類を片づけましたが、我が女房はバス通勤ですから迎えに行ってやらないと帰って来れないでしょう。家の中を片づけている間も何度か強烈な余震が襲いましたが、その度に家全体がバウンドしているような突き上げ感に年甲斐もなく正直怯えました。事務所のあるマンションに戻って、携帯での連絡はとれませんでしたが、ここでしか落ち合えないと考えて会社を早々に退けてきた妻を無事に拾い、再び我が家に向かいました。高層ビルの中にある妻の職場では、その時、机、キャビネット、PC類がメチャクチャに暴れ動き、妻をはじめ執務中の職員は机の下に潜り込み掴まれるものになんとか掴まって、やり過ごした状況だったようです。マンションでもビジネスビルでも高層階の建物では階下に居た私達が経験したものとは違う恐怖の体験だったと思います。その夜は何度も今までならば本震に匹敵する強烈な余震に襲われ、その度にヨーイドンで戸外に飛び出すのですから、寝支度を整えるなど到底考えられるものではありません。たとえ我が家であっても数日間は避難所と変わらない雑魚寝生活になりましたが、TVのニュースで見た津波にさらわれた人達のことを思いやれば、私達はましな方だとつくづく思ったものです。
翌日、事務所のあるマンションに向かいました。誰もが、これから一体どうなるのか誰も見当がつかず、どう行動したらよいのか手探りの週末だったと思います。事務所内の倒れたPCディスプレ-や空気清浄機が作動するかを確認し、乱雑なままのデスク上を片付けて自分だけの整理は程なくスタンバイできました。電話や携帯はほとんどつながりませんから、顧客からの連絡がなく此方からも取引先へ連絡をとりようがなく、暫くの間は物件の被害確認以外は仕事になりませんでした。市内に数十棟あるマンションの中には、新築後間もないにも拘らず外壁の剥落や亀裂が入ったものや、共用廊下の壁が鉄筋むき出しになる程ひどい被害を受けたものも数例ありました。その他、戦前から残る古い建物は激震に到底持ちこたえられずに今回全壊に至るものもありましたが、全般的には早期に平穏を取り戻している様子です。深刻な被害を受けたマンションでは一時避難生活を余儀なくされたりする例もあった一方、当マンションは敷地の一部に若干の陥没が生じたのが目立った被害で、震度6の揺れが数分間も続いたことを思いやれば、このマンションの住民は堅固な鉄筋コンクリ-ト造の建物に住む心強さを再認識したことでしょう。








