B-06 宮城県仙台市Jマンション・管理員の体験談
取材地:宮城県仙台市
取材日:2011年07月25日
――この度の被災についてお見舞い申し上げます。早速ですが、3月11日の地震のその瞬間はどちらにいましたか?
管理室です。巡回に行くために日報を書いてました。巡回するのが、8時、11時、13時、16時だからね。巡回に行ったのを整理していたんですよ。15時近くだったよね、14時46分かな。
とっさにこの管理室から出てエレベーターを確認しました。普段乗ってない時は1階か5階に停まってますからね。ところが、8階で停まってました。地震の緊急停止でそのまま停まりました。多分停電がすぐにあったんですね。
それでエレベータを見てたら、こっち側で「ぎゃー!」って言ってるわけです。すぐに戻ったら、「管理人さん!どっから逃げればいいの?」って言うもんだから、「いつもの避難訓練どおり階段使って下さい。」「一応下まで降りて。とにかく降りて下さい。」って言いました。避難場所はそこのプレイロットでした。その時にはもう、玄関先に瓦礫が落ちてきてましたね。
それで全部避難させて、その時いるのは奥様、高齢者ご夫婦、子ども達でしょ。男性はほとんど居ないです。大学生は何人かいたかもしれないですね。あの地震当日、居住者の方はどのくらい残っていたかな?100世帯強だから、子どもたちを入れても100人はいないけど80人はいたかな。
――避難訓練をしていたんですか?
1年に1回実施しています。避難訓練に参加するのは毎回30~50人未満です。小学生の子どもさんがいるお宅はよく出てました。男性はほとんど出ないです。
避難訓練は管理組合の発想です。7、8年前の理事長さんの時の発想じゃないですか。消防訓練で、家の方が逃げる時は玄関にこれ(※注:ステッカー)を張り出すようにしてるんです。玄関ドアに黄色いスッテッカーを貼って、「逃げましたよ」って。ところがね、冷静な人はそのステッカーを出して逃げたかも分からないけど、今回、それだけで避難したかどうか判断できないですね。一応それを参考にして叫びながら回りました。もちろん、貼ってあるお宅もありましたよ。
あの地震何分くらい続いたんだろうね。4分か6分か、いやもっと長かったですよね。もうグラグラだから。余震的なものも来てたからね。だから私はここで、下から叫んで、逃げさせて。揺れが収まったら、私と清掃員で手分けして、階段を向こうから上って行ったんです。グラグラ揺れてる状態で全部回りました。今思うと自分でもどうやってあの揺れてるところを回ったのか分からないですが。瓦礫も落ちてきてましたし。
6階の一番端の方、5、6回呼んだら「おーい」って中から返事が来たんですよ。足が悪い方なんです、助けだしました。奥さんは娘さんと一緒に買い物かなんかでどこかに出かけてたらしいんだよね。その方を最後に、窓をギリギリ開けてドンドン叩いて騒いで呼んで、「玄関まで這ってでもおいで」と言いました。6階だったから階段は肩貸して、避難場所というか、プレイロットまで助け出しました。
――ライフラインの被害はどうでしたか?
3月11日、これが1回目ね。電気・水道・ガス、全てダメです、全部ダメ。三重苦だね、エレベターもダメだから四重苦。なお、地震の日からずっと残ってた方は10世帯以上ありましたね。
電気はもうその時に止まりましたからね、停電で受水槽も高架水槽も全部ストップです。電気は15日の早朝に復旧。電気は復旧しましたが、水道は本管からは断水ですので、受水槽の水がなくなると終わりです。だから、一気に使うんじゃなくて汲み置きして、それから洗濯なり何なりに使った方がいいです、とスピーカーで各階に案内して回ったんですよ。ところが水出たらそんな事すっかりで。その日の早朝に水が出たら、14時にストップしました。タンクがもう空になったんです。
電気がついても水がないという。受水層には残ってる水だけがあったんです。ところが電気がパッと入っちゃったもんだから、全部高置水槽に汲み上がって、パーになりました。通電したから自動的に上に上がって、皆さんがどんどん使ったので無くなったんです。
久々に水道が使えるようになったから。それまで色々な所に行って水汲んだりしていましたからね。それまで受水槽の水は使ってないです。とてもじゃないですけどここは狭くて水が取れなかったんですよ。水が復旧したのは3月18日、ちょうど1週間後でした。
エレベーター復旧したのはいつだったかな。エレベーターは意外と早かったんですよ。1回目の地震の時は、エレベーターは止まったけど、そんなにやられてないからね。エレベーターの復旧は15日でした。電気と同じくらいです。電気こないとエレベーターが動かないですから。
ちなみに4月7日の時にもエレベーターが皆停まってます。4月7日はエレベーターが停まった他に高架水槽もやられました。全部水が漏れました。水槽が架台から落ちて傾いて、水が全部そこの排水管から流れていきました。
4月7日の時にはガス漏れも発生しました。ということは、その時にはもうガスは復旧していたんだね。もうなかなか記憶が無いんですよ。大体ガスが遅かったから。この辺り地盤沈下してますからね。
ガス回復は4月5日。約1ヶ月です。本当はここは3月中に直る見込みだったんだけど、ここはガス開栓の際にガス漏れありって言われて、館内かどこか分からないけど、どっかに漏れた箇所があるということで。
建物の被害はこのマンションがこの辺では一番酷いんじゃないですか。役所からこれ貼られましたからね(注:応急危険度判定の要注意・黄色のステッカー)。
その黄色を貼るときにパニックになったんです。このマンションの住人さんが。だからもう、パニックになるから貼らないでくれって事で何回も頼みました。そして担当の方のファイルから説明書を貰って、『要注意』について、これはどういう意味なのかを張り出しして。これに一番最初に反応してきたのが不動産会社で、売りに出してから契約断ったり。これを理由にして売れなかったものだからって。しかしこれを剥がしてダメなのかと思ってたら、いつ剥がしても構わないんだね。
――4月5日にガスも戻ってきて、ひとまずこれでライフラインが戻ったという時に余震。
3月30日にガス漏れ調査をして、1ヶ所掘って修理が終わって、また調べて。住戸内のガス漏れ箇所を調べるのは大変なんですね。居住しているお宅はいいけど、あとの不在のお宅は案内を入れていくんだけど、連絡が付かないと言う問題が出てくるんですよ。
避難してる人たちもいましたからね。それでガスの元栓は締まってるわけですから。締めたってテープ貼ってってくれるから。もともと3月11日の日に水道の元栓とガスの元栓はほとんど締めましたね。特に水道の方は漏れると困るんで。
それでガスも戻ったところに4月7日の余震。また大きい地震が来て、今度は貯水槽(受水槽)が壊れてまた水が止まった。あと、ガス漏れです。4月8日、金曜日に朝来たらガス臭かったんです。理事長が来て、ガス漏れがあったと聞きました。あと貯水槽の水も全部抜けちゃいましたよ、って言われました。この時のガスの開栓は4月8日。このガスサービスは早かったんですよ。
ただ貯水槽の方はそうはいかない。貯水槽は8日に見に来たんです。それで貯水槽の修理終わったのが4月12日で、16時から水道開栓。戻ったり復旧したりはありましたけども、4月7日以降は早かったですね。12日にはもう。その間に市役所から直結の水道管、水が出るようになったんです。
ここに蛇口あんですよ。受水槽の中の水栓からホースをつないで、ホースで汲んでもらって、ここまでバケツを持って来てもらったんです。
受水槽の中に水質調査のテスト用の水道があるんですよ。その水が出なかったんだけど出るようになったんです。それでホースを繋いで、管理室前に蛇口あるので、そこに繋いで、そこから運んでもらってたんです。9階の人も汲んでました。でもエレベーターは動いてましたから。
受水槽は今もブルーシートを被せている。天板の一部が動いたんじゃなくて剥がれたんです。それを補修して、シートを被せて。今は片側しか使ってません。水は入ってますけれども、震災以降左側しか使ってないです。これは仮補修ですから。次に4月7日くらいの地震くればダメですよ、って言われてるんですよ。だからもう病気持ちみたいなもんですよ。
――ライフラインが止まっている間の、居住者の皆さんのご苦労についてお聞かせください。
それはもう、水でした。水が使えないことはホワイトボードで注意書きしていたんですけど、そのままトイレットペーパーを流しちゃうと詰まってしまうんですね。詰まったら大変なことですよ、何十万円じゃ済まないことですから。だからほんとにホワイトボードに書いたけど、「紙と水を別にして、紙類は袋に入れてゴミと一緒に捨ててください」って。仙台市のゴミ収集関係については、5月1日まではプラスティックとか家庭ごみとか、有料袋かも関係なしにそのまま収集するってことで。袋は何でもよくて、分別は無し、だったからね。
――地震の直後から、居住者の皆さんは避難所に行かず、ほとんどマンションにいたんですか?
皆戻ってきてましたよ。それで当日に、みんな1階のプレイロットの手前に集まったじゃないですか。3月の休みで大学生も何人かいたのかな、2人くらいいたのでもう任せてしまって。2階の集会室から50~60脚あるんですが全部椅子を下ろしてもらった。あと高齢者とかいたので、椅子を出して座る人は座ってもらいました。
その時に雪が降ってきていたので、いつまでもここにいられないですよね。それで雪が降ってから今度エントランスに全部椅子を入れて、そこで休ませました。ところがですね、清掃員は居たけど、年配の方とかばっかりでほとんど男性がいないわけですよ。こんな小学生の子とか学校から帰ってきた子も、まだ母親が仕事中で迎えに行くとかで子どももいたんですね。それで今度「管理人さん、お腹空いた。寒い」なんて言い始めましたからね。
いつまでもここにいてもらうわけにもいかないんで、ここら辺の避難場ってのはこの地区は小学校。でも、小学校の父兄が帰りに小学校の体育館の壁が崩れて大変だとか聞いたので、私は車持ってる奥さんがいたんで頼んで乗っけてってもらって避難所を見に行きました。現地見てきたんです。
そしたらね、体育館の壁が落ちてるどころか、まぁ一部落ちてたんだけども、どんどんどんどん、ここら辺の住宅の方、マンションだけじゃなくて、一般住宅の人たちも皆行ってるわけです。どんどん向かっていて、これはまずいと思ってすぐに戻ってきて、居住者の皆さんにも学校に避難してもらいました。残る人は残ってもらってもいいけど、避難する人は避難してもらった方がいいと。
ここにいても何もないし、旦那さんとも連絡が付かないでしょ。旦那さん方は帰ってこれないからね。地下鉄も電車も、交通機関が止まって動けないんだから。電話もなんも繋がらないんだから、携帯も繋がらないですし。それで一応このホワイトボードに避難した人、あと自宅に帰る人を自分たちで部屋番号と名前書いてもらってね。旦那さん帰ってきた時連絡が付かなくなるわけですから、それだけ書いて頂きました。
ホワイトボードは、私が思いつきました。管理会社とも連絡がつかないし、会社の指示を一々待ってられないですから。
――当日はご自宅に帰れたんですか?
大体夜中の12時30分頃です。土日もずっと出てました。
自分の家のことは、地震直後に7階か8階に行った時に、私の女房のお袋の実家、○○にあるんですけどね。私の自宅は○○で女房一人だったから、1階だからなんともないだろうって頭にあったんです。それで、お袋が心配だったんですよ。連絡付かなくてどうしようもなかったんですけど。
地震の後に何回も連絡しようとしたけど繋がらなくて、必死ですけどね。だから私こう色々見ながら、両方気にしながら。私の娘2人が○○にお嫁に行ってるんですよ、○○に隣りあわせで居るんだ。2人共必死に電話かかってきて、繋がったんだね。県外だから電話が繋がったみたいで。開口一番、最初から「仕事がんばってね」だからね。「家族皆大丈夫よ、大丈夫だから。ママもおばあちゃんも大丈夫だから。」って。
管理会社には連絡付かなかった、いやもう全然付かないです。3月13日、日曜日にここの担当者から午前中ちょうどワンギリみたいな感じで電話が入ったんですよ。それで「何事かな?また何か止まったのかな?」と思って、日曜だけど私慌てて自宅から来ましたよ、30分で来るからね。
車ではなくて歩きで来ました。地下鉄なんか動いてないから。その時は動くの待ってられないから歩いて来ました。そしたら担当者もちょうど来てね。それでその時会ったんだけどね、掲示板かなにかもって来たんです。水槽とかなんか諸々あるから、どうのこうのって言われてね。それが日曜日でした。そのとき会社の人と初めて会ったんです。あと全然誰とも会わないの。だから全て自分で判断するしかないですよ。後は理事長さん、連絡取れなくて、帰ってこないんだから。公務員さんというか役所さんはほとんど帰って来ないみたいだね。前の日の土曜日はずっといました。
――建物の被害は?
全壊ですよ。ですから、罹災証明は居住者の1つ1つの家も全壊。地震保険には残念ながら入ってません。入ってれば最高だったんですけど地震保険も3、4年前までは気にしてなかったんだよね。
特にエキスパンションジョイントが全部いってます。エキスパンションが全部離れたんです。建物の間がこれしか開いていないですから。建物同士がこうやって叩いたんですね。それじゃなかったら落ちないですよ。窓もいってます。これを直すにはサッシを全部外さないといけないから、外せないから直せない。
全部で100世帯強で、今は7世帯くらいで空きになってるかな。地震前から常に5部屋くらい空いてたんですけどね。
6階くらいからドアが開かなくなったんです。あの部分の壁が弱いんですね。こういう所はドアが開かなくて、窓から出入りしたんですから。イスを中に置いといてここから出入りしたんです。ここは3戸くらいほとんど窓から出入りでしたね。上の方の階は家具類がめちゃくちゃになってます。
ベランダ側が酷くいってます。ベランダ側の大きい掃き出し窓あるじゃないですか。窓の間にエアコンの穴がこういう風にあるんですよ。中に通っているあれ、部屋の中まで貫通してますから。それを中心にして壁が落ちてるんです。
――今の管理組合の状況ですが、建物を直す計画は進んでいますか?
ここ(※注:居住者向け掲示板)に書いてある通りです。誰でも見れるわけですから読んで行って下さい。直すのは建てるよりかかるんだね。何億です。
――同じ様な大きい地震が、またどこかで起こることもありうると。その対応について思うことを教えてください。
先ず最初に、自分の身は自分で考えることですね。あとその前に、事前に逃げる、避難する場所、そういうのを家族なり、自分なりで決めるなどして、マンションであればどこからどういう風にして逃げるか、それを各家庭なりで徹底した方がいいですね。あと管理員とか頼りにしない。8時から17時までしか居ないんだから。地震はいつ来るか解らないから。
居住者一人一人が自分の身は自分で守る。どんな状態でも団体行動は出来ないでしょ。いくら避難訓練してても、お友達でも、結局はもう皆バラバラですから。命ですから、命は自分で守るんです。そういうのは私つくづく感じました。どうしようもないですもん。そして、エレベーターには乗らない。乗ってて地震を感じたら止まった所ですぐ降りる。今自動で戻るような遠隔操作の機能が付いていてもほとんど倒壊なんかしたりすると機械的故障で、電気とかそう言った問題じゃなくて、エレベーターそのものが動かなくなる場合ありますから。
マンションの管理会社でも常にそういった避難とかっていうのは考えておいてね、防災訓練の時には必ず会社も来てね、ここはそうしてますけど。いわゆる業者も立ち会った上での消防訓練、避難訓練をする。後はマンション内の理事会なり、そういったものが一番最初にどこに集まったらいいか、そしてその次はどこ集まって、って出来るかどうかなんですよ。でも、実際は自分のことで精一杯ですね。
――決めておいても出来ない?
出来ない。だから、やっぱり個々に家族でですね。自分、家族、まあ一人で住んでる人も最近多いからね。自分なり、家族なり、あと自分が。世帯主が居ない場合、奥さんしか居ない場合、子どもさんが学校に行ってる場合、マンションの場合は特にそういった決め事自分達で作らないとダメですね。
あと、最低限の防災グッズは揃えた方がいいですね。先ず電池です。停電に対して電池、水に対しては貯水槽みたいな。例えばあとどういう風なのあるだろうね。あとは最低、やっぱり風呂は空にしない。普段から風呂に最低限入れなくちゃならないと言うか入れとくべき水って言うのがあるでしょ。あの蛇口じゃないけど、あそこの部分よりちょっと上に入れなきゃいけないとか言うじゃないですか。残り湯は洗濯に使ってもいいわけですから。節約と言うか節水にもなりますから。
水は重要ですよ。あと大きい電池の買い置きですね。ただ電池も入れっぱなしにしているとマンガン電池になると錆びてきて肝心な時使えなくなるから。できればアルカリ電池なり最近のね、エボルトじゃないけど、ああいう耐久性のある電池。大分役立ちましたよ。
あとメガホンですね。あれでも向こうのガソリンスタンド並ぶ時もガス回線した時も、疲れましたけど全部これで騒いで歩きましたよ。「向かいのスタンドが開きました」って。ガソリンももちろんありますけど灯油ですね。なかなか聞こえないんだよね。こう人並んでるでしょ、このスタンドとか燃料入れるために駅の向こうから並んでるわけだから。年配の方もいるし灯油も買わないといけないからね。灯油買って暖をとってる方もいるわけだから、エアコンがある家ばっかりとは限らないからね。それで、このメガホンで全部騒いで歩きました。救急用にもなるしね。これは管理組合で何年か前に避難訓練するために、防災訓練するために買ってくれてたんですよ。普段は2階に置いてあるんだけどあれ以来ずっと管理室に置いておきました。
エントランスにああいうホワイトボードをちゃんと設置したほうがいいね。マンションの誰でも書けるやつ。ガイドライン情報とか書いて、ガスはいつから入るとか、パソコンで市のホームページで情報調べるのも、もう大変だったんですよ。年配者なんてパソコン持ってないから見えないわけでしょ。
ホワイトボードには、最初の時に避難先も書けますしね。ホワイトボードはなんだか解らないけどあの時閃いたんですよ。いつもはちょっとボケてるんだけど、地震の衝撃で、これは書かないとってパッパッパッと思ったんだな(笑)。
受水槽に非常用の水栓を付けるというのも、ここみたいにあんな狭いところだと、どうしようもないんですよね。ここは狭すぎるからね。それに蛇口のバルブもきついからね。当日、ゴミのバケツにトイレ用の水をいっぱい溜めてたんです。ところがやっぱり、ここは和式だけど誰でも使ってるトイレだから、皆ここに来て使うんです。管理人室には水があると思って来るんだよね、「水出るんでしょ?」なんて。水が出るわけないですからね。
――貴重なお話をどうもありがとうございました。
(聞き手:鈴木裕人 マンションサポート福島代表・マンション管理士)








